会津地方25(奥会津):只見線について思うこと・前篇(ハマナカアイヅ)
只見線とは
只見線は、福島県・会津若松駅と新潟県・小出駅を結ぶ全長135.2キロのローカル線です。
また、沿線は「秘境」を彷彿とさせてくれる絶景で話題を呼び、鉄道愛好者やカメラマンの間では絶大な人気を誇っています。その美しさゆえに、マスコミでは 「紅葉の美しい鉄道路線」 や、「雪景色のきれいなローカル線」などといった賛辞を贈られているほどでした。
しかし一方で、平成23年7月に起きた新潟福島豪雨の影響で鉄道橋が流失し、会津川口駅~只見駅の区間は未だ不通となっており、沿線の住民や鉄道愛好家が嘆く日々が続いています。
只見線の復旧を願う住民、自治体を始め関係団体、さらには、只見線の復旧に心を寄せていただいている全国の方々とともに只見線支援の輪を広げるため、福島県を中心とした関係自治体と関係団体により「只見線応援団」を設立しました。
私も応援団の一員として、只見線が一日も早く復旧するよう、心から祈っています。
これまでの記事(代行バス、六十里越道路)では、只見線の現状を把握するためには、まず只見線の歴史を知らなければなりません。
「六十里の障壁を貫き 新線を行く」
この一文の出典は、JR只見線が全線開通した昭和46年に発行した「鉄道只見線全通記念」です。
同書によりますと、昭和46年8月まで、「小出駅~大白川駅」の区間と「会津若松駅~只見駅」の区間はそれぞれ「只見線」と「会津線」と名付けられていました。
意外な情報ですが、考えてみればすぐ納得しました。
福島県(奥会津)と新潟県との間にそびえ立つ越後山脈は豪雪地帯のため、古来交通の難所として知られている。当然難工事は当初から免れないと想定されていました。
一方、山間に流れる只見川はダム建設に絶好の立地とも言えます。特に高度経済成長期において、電源開発流域として日本の発展に大きく貢献しました。
従って、年間を通して人的交流と経済の発展を図る手段として、只見線の建設はかねてから両県沿線の住民に熱く期待されていました。
ついに、昭和41年8月、悲願の只見線全線開通は実現しました。
全通時まだ生まれていない自分ですが、それでも写真を通して当時の盛況を感じました。
なんと、後の総理大臣、日中国交正常化に尽力した田中角栄さんも只見線に乗車したのではありませんか!
モノクロの写真ですが、只見線の全盛期の輝きは色褪せずにしっかり残っています。
今も昔も、只見線はたくさんの人々に愛されていることを改めて認識しました。
後篇では、只見線をこよなく愛する奥会津在住の郷土写真家・星 賢孝さんの案内のもとで、只見線の現状をお届けしたいと思います。
つづく