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地球探検 パラグアイ共和国 廣瀬靖夫隊員 21

印刷用ページを表示する 掲載日:2013年12月1日更新

 地球探検

パラグアイ通信(21)

  前回のパラグアイ通信では、中成功者(何をもって成功というかを別に、お金持ちになった人)と言える人の話でしたが、今回は大成功者の話です。 先に報告した、1958年(昭和33年)にイグアスに来た北海道の士別出身者と同じ船でパラグアイに来た前原弘道さんです。現在アスンシオン日本人会会長を務めるかたわら、アスンシオン日本語学校長代行をしています。

  ここで、ちょっと話はそれるのですが、この日本語学校というのは日本人移住者の2世3世に日本語を教え、日本の文化を守り育てるために作られた私塾なのです。この先生のボランティアに、日本で小学校の先生をしていた経験を買われた私の妻が引っ張り出されたのです。そのとき、妻と私を含めた何人かと食事をご馳走になり、移民当時の話などを聞くことができました。 この人は有名人ですので、すでにこの人の話は本になって出版されています。「新天地(パラグアイ)に生かされて、佐々木直著、金光教徒社」(写真1)です。ここからは、この本を読んでの感想です。

   まず驚いたことは、成功する人間の決断力です。前原弘道さんのお父さんの前原深さんがパラグアイに行くと決断し、家族の賛成を得て、広島からパラグアイ・イグアス居住地(首都アスンシオンから東へ300kmの所)に来たのですが、「ここでは消費地に遠く作ったものは売れない」といって、日本でお金を支払ったイグアスの土地を放棄し、首都に近い所に移住してしまったのです。そして、トマトなどの近郊農業栽培をしていたのですが、1969年(昭和44年)から養鶏業をはじめ、本によると現在ではパラグアイ国内の卵の60~70%がこの前原さんによって供給されているそうです。さらに今度は、チャコ地方(パラグアイの北西の未開の原野)で牧場経営を始めたのです。パラグアイ人の主食は牛肉です。そこに目をつけたのでしょう。

   さて、ここで写真2を見てください。これは日本の写真ではありません。首都アスンシオンから、南東37kmにあるイタ市の前原さんの農場敷地内にある日本のお城です。本物です。日本から職人・材料を取り寄せて作ったものです。日本の地方自治体でも造ると数億から10億円もするので手を出せないでいる城を個人の力で、しかも遠い外国につくる財力たるや!大成功者の風格十分ですね。

パラグアイ移住者のことを書いた本  写真1

パラグアイ移住者前原家のことを書いた「新天地(パラグアイ)に生かされて、佐々木直著、金光教徒社」の本

イタ市にある日本のお城 写真2

パラグアイ共和国イタ市にある日本のお城 このお城はまだ一般公開されていません。私の撮った写真は敷地の外から撮って小さいので、「パラグアイに行こう」(ロベルトさんのブログ)よりこの写真を拝借しました。

廣瀬 靖夫 (シニアボランティア 環境工学)