地球探検 パラグアイ共和国 廣瀬靖夫隊員 27
パラグアイ通信(27)
「福島県出身の移民者はどうしているのですか」とあちこちで聞いていました。ある日、正式な県人会ではないが、アスンシオン市在住の福島県出身者が集まる会合がアスンシオン市で開催されることになり、そこに招待されましたので出席してきました。その中で紹介されたのが県人会会長の渡辺友二さん(福島市笹木野出身)、副会長の寺島敏光さん(塙町出身)、そして警察副長官をやった金沢奧蔵さん(塙町出身)らです。もちろん、前回紹介した国軍最高司令官をやった金沢ケイさん夫妻も来ていました。この金沢奧蔵さんはケイさんの父喜八さんの兄(家族4人で移民してきた金沢家の長男トモエさん)の孫です。福島県人会の中で金沢ファミリーは大きな存在であると感じました。その証拠に、喜八さんは現会長渡辺さんの前に長く会長職をやっていたそうです。
会長の渡辺さんの言によれば、「20年近くも喜八さんの後を継いで会長職をやっている。」「日本語の問題もあるということで、若い人がなかなか参加してくれなくて困っている。そして、県費留学生申請が7年間駄目であったことから福島県との交信も疎遠になっていった」とのことでした。渡辺さん自身は、1955年(昭和30年)に22歳の時、比較的遅くパラグアイに移民してきた一世です。そして、1957年に公使館から大使館に昇格した日本大使館に現地採用され勤務していましたが、現在すでに退職していて76歳です。副会長の寺島さんも大使館勤務をしていました。ざっと見たところ、事業などで大成功した人はいなそうで福島県民性を反映してか比較的地味な人たちが多いと感じました。
県人会員数は40家族から現在32家族に減っているとのこと。本日集まった人数もアスンシオンが中心であったこともあって20~30人程度でした。そして、これからの福島県人会をどうするかが雑談で話されているのを横で聞いていました。まず会長人事は若返らせる必要があり、日本語にもスペイン語にも堪能な人がいいという話でした。幸い日本へ出稼ぎに行ってきた人々が最近帰ってきており、新しく会長をやる人は日本の福島県やJICAにも積極的にコンタクトを取るといいとの多くの人からアドバイスもありました。 私の方からも、「県は福島県人のことを気にかけており、二世・三世による新しい福島県人会として発展させてください」と言っておきました。近く、正式な県人会が開催され、新しい人事が行われそうです。
写真1
福島県出身者の集まりの会場 2009年11月14日(土曜日)
写真2
渡辺会長との写真(左が渡辺会長)
廣瀬 靖夫 (シニアボランティア 環境工学)