地球探検 シリア・アラブ共和国 岡田眞一隊員 2
シリア・アレッポ便り 2
中東の国シリアのアレッポ市に派遣されているJICAシニア海外ボランティアの岡田眞一です。福島の皆さんお元気でお過ごしのことと思います。
今年1月にシリアに赴任し、ここアレッポ市で初めてのシリアの夏を過ごしました。当地では5月より雨は全く降らず、気温は真夏並みに上がり長く暑い夏の始まりでした。7月頃が盛夏なのでしょうか夜間でも寝巻きがびっしょり成るくらい汗をかきました。9月終わり頃から朝晩少し凌ぎやすく感じられましたが、それでも日中は日差しが強く、半袖シャッツで過ごしてきましたが、10月末に待望の雨が降ったかと思うと、気温が急激に下がり、一挙に冬が来た様な寒さになりました。ここシリアの季節には秋は無く夏から一挙に冬に移るようです。
さて今回はアレッポ市周辺の歴史と残されている遺跡について報告したいと思います。
1、先史時代の遺跡
ここシリアはアフリカ大陸から続く大地溝帯の延長上にあり、アフリカで出現した人類がヨーロッパやアジア大陸へ移動したルート上にあると云われております。現にアレッポ市近郊ではネアンデルタール人の人骨が出土しています。
ネアンデルタール人は約20万年前に出現し、その生息域は、ヨーロッパを中心に西アジアから中央アジアにまで分布しており、旧石器時代の石器の作製技術を有して、火を積極的に使用していたが、2万数千年前に絶滅してしまったそうで、絶滅の原因はまだよく分かっておりません。シリア・アレッポでのネアンデルタール人の人骨発見はそれらの謎を解く大きな手がかりになるものと思われます。
現在アレッポ市周辺では日本から来た発掘隊2チームが発掘を続けています。その内1隊は元東大赤澤教授を中心とした発掘隊でアレッポ市北西約50kmの丘陵地帯にあるデデリエ洞窟のネアンデルタール人居住跡の発掘を、他の隊は筑波大学チームで、アレッポ市の南西約100km付近の低地にあるテルアルケルフの8,500年前の人類の居住跡を発掘中です。先日この両遺跡を見学する現地日本人会主催の先史考古学視察ツアーに参加する機会を得ましたので、その幾つかをご紹介したいと思います。
(1)デデリエ(Dederiyeh)洞窟遺跡
アレッポ市北西約50kmの丘陵地帯にあるネアンデルタール人の居住跡の遺跡で現在日本・シリア合同隊が発掘調査を続けています。奥行き60m、最大幅40mにも及ぶ巨大な洞窟の中にはネアンデルタール人を始め、その後の人類が生活した遺物が積み重なって残されているのが見つかっています。
岩山を約30分登ると頂上付近に洞窟の入り口が見えてきます。
洞窟の入り口と内部の様子。この巨大な洞窟は古代人にとっては格好の棲家であったろうと思われる。
地表面より6mの深さまで掘り下げて、各層での遺物の探索。
地表近くにあるネアンデルタール人以後の人類の生活跡。
慎重な発掘作業の様子。
洞窟のある岩山の上から下界を見渡す。下の平地は肥沃な土壌と付近を流れる川からの灌漑用水に恵まれ農業が盛んである。この辺はネアンデルタール人が生活していた頃は今よりも温暖で、植生も豊かであったことが想像され、彼らが動物を追い求めてこの付近を彷徨った姿が思い浮かばれる。
(2)アインダラー(Ain Dara)遺跡
約3000年前のネオ・ヒッタイト時代の神殿遺跡で、現在出土品の多くはアレッポ博物館に展示されています。(ヒッタイト:紀元前18~12世紀に小アジアに出現した国家。小アジアは現在のトルコ共和国のアジア部分で、アナトリアとも云う。)
ヒッタイト人は紀元前1680年頃にアナトリア地方(現在のトルコ共和国内)に王国を建国し、後にメソポタミアなどを征服しアレッポもその支配下におかれた。そしてシリア地区の覇権を巡ってエジプトとしばしば戦った。青銅器時代、最初に鉄を使い始めたことで知られているが、紀元前1190年頃に滅亡したとされている。
(3)テルアルケルフ(Tel AlKerk)遺跡
アレッポ市南西の丘陵地帯にあるイドリブ市の更に南西に40km下った低地にある約8,500年前の人類の居住跡の遺跡。人間が住み着いた事によって堆積した土砂などにより、周囲より小高い丘のようになっている。埋葬された人骨、鏃などの石器、壷などが出土している。
平坦な農耕地の中に高さ十数mの小高い丘が2箇所あり、その内の一つを発掘中である。
発掘現場の外観。
約4~5m掘ったところに約8,500年前の居住跡が出現している。
発掘された人骨。 数千年に亘って、人類が生活した遺物が層状に堆積している。
出土した土器や石器の説明。
2、アレッポ市の遺跡
アレッポ市一帯は紀元前1,800年頃から人が住み始めたといわれ、現代のアレッポ市はその古代アレッポの場所の上に立っているそうです。現在シリアで世界遺産に登録されているのは次の5箇所で、その中に古代都市アレッポも含まれています。 (1)古代都市ダマスカス---(1979年) (2)古代都市ボスラ---(1980年) (3)古代都市パルミラ---(1980年) (4)古代都市アレッポ---(1986年) (5)クラック・シュヴァリエとカラット・サラーフ・アッディーン---(2006年)
古代都市アレッポは、アレッポ市に残る歴史的構造物が世界遺産の物件として登録されたもので、その主な構造物は次のようなものです。
(1)アレッポ城(Citadel Aleppo )
紀元前10世紀に当地に築造された神殿を原型とする古城で12世紀から14世紀にはモンゴル帝国の侵入や十字軍の攻撃にも耐えた。たび重なる戦争の歴史のなかで、次第に城砦化されていって、現在の形は12世紀の十字軍の侵略に際して改築された姿がそのまま今に残っているそうです。
アレッポ城を見上げる
巨大な城門
城内の様子
市街地から50mも高い巨大な丘(部分的に、人工的に盛り土されてできた土塁)の上に立っている。土塁は上から見ると楕円形で、周りを深い堀に囲まれており城には大きな石造りの橋(城門)を渡って入る。
アレッポ城内からアレッポ市内を見渡す。アレッポ市は人口170万人を擁し、首都ダマスカスに次ぐシリア第2の規模の都市ですが、シリア第1の工業都市です。その産業の中心は古代から続く繊維産業で、市内には沢山の繊維工場が稼動しています。 写真の左下付近にスーク(市場)の入り口である楕円形の入り口が見えています。
(2)スーク(Souq、市場)
古代アレッポは東西(東部のユーフラテス川流域(メソポタミア)、更には東南アジア、中国、インドなどと西部のイタリア海洋都市を含む地中海沿岸都市)及び南部(現在のシリアの首都ダマスカスやエジプト、アフリカ方面まで及ぶ。)とを結ぶ交易路の交差点に当たり、それらを結ぶ交易によって繁栄を極めました。現在残るスーク(市場)は世界最大規模とも云われるもので、往時の交易都市としての繁栄の面影を留めています。
←スーク内部の様子
←アレッポ石鹸店の外観
←アレッポ石鹸店内部の様子
巨大なスーク内には布、野菜、肉、石鹸、その他、取り扱う品目毎にお店が集中しており、商品を買い求める地元の人々や観光客で賑わっています。尚、アレッポ石鹸は近年日本でも人気のある地元アレッポの特産品で、地元産のオリーブとローレル(月桂樹)オイルを原料とし、その原料配合割合と熟成度によって値段が決まります。値段は1kg(5~6個)で120~800シリアポンド(240~1600円)ぐらいで沢山の種類があります。
(3)その他
キリスト教区(Christian Quarter) アレッポ市には現在でも今までの歴史的経過からアラブ人(イスラム教徒)の他にアルメニア人(キリスト教徒)やクルド人(主にイスラム教徒)が沢山住んでおります。そして市内にはキリスト教徒が多く住んでいる地域があり、夫々の宗派に属する教会があちこちに残っています。
アレッポ市内にあるキリスト教会の様子です。イスラム教のモスクのすぐ脇にキリスト教会があるような個所もあり、両者は仲良く共存しているように見えます。
岡田眞一 【平成20年度 第3次隊 工場管理と改善活動 】