二、県道赤留塔寺線沿線の魅力 3.会津信仰の里、雀林法用寺
二、県道赤留塔寺線沿線の魅力3 会津信仰の里、雀林法用寺雀林より高田を望む 雀林は昔、法用寺村といった。古くから法用寺が村の中心であったことは間違いない。この寺ほど会津で注目されている寺はない。それは養老四年(七二〇)創始という古さだけではない。無住の寺で荒廃の色濃き境内ではあるが、それ故、四季折々に深い想いを人々の心に響かせるからである。 心にくい造形の妙、三重塔法用寺より会津盆地を望む (撮影:平田春雄 「会津人群像」より)法用寺の雰囲気を演出する者の心にくい造形の妙は、会津で唯一の三重塔(県重文)にある。眼下に会津平野を見下ろせるこの三重塔の前に立つと会津の信仰の里のシンボルとしての風格すら感じられる。同じような感じを持たれたのが、東伏見邦英伯爵である。昭和六年八月、殿下は会津の仏教文化と遺跡を視察されたとき、ここからの眺望をいたく感動され「仏都会津」とよばれたという。まさに法用寺こそ「仏都会津」の代表とも言えるだろう。 法用寺観音堂
珍しい平安後期の仁王像法用寺金剛 力士像 法用寺本堂厨子及仏壇
観音堂の中には、この寺が誇る「木造金剛力士像」(国重文)の阿(あ)・吽(うん)の二体が保管されている。平安後期の仁王像は珍しいとされている。総じて装飾は穏やかで控え目。太造りの体躯で、腰まわりは力強く派手に威圧感を表面に出さないのがよい。内に秘めた心の深みが何ともいえない。外に本尊を入れて置く厨子と仏壇は会津最古のもので国重文である。中央の正統的な手法を持つ立派なものである。
伝説伴う虎の尾桜三重塔 観音堂の前には古桜、虎の尾桜が四月下旬に花を咲かせる。会津五桜の一つで、寺伝では大同三年(八〇八)に観音堂再建の時に、徳一大師が植えたという。花は淡紅色の八重で、オシベの先端だけ花弁化したものから細長い花弁が突き出ている。そのさまを虎の尾に見立てて名づけられたのである。 法用寺観音堂と虎の尾桜 虎の尾桜
蛇の御年始の行事蛇の御年始一月の七日にはこの寺の仁王門に掲げる藁の蛇を下ろし、村の子どもたちが雀林の各家を一軒一軒大声をあげて担いで回り村人はこの蛇に噛んでもらい無病息災を願う。その間、村人たちが新しい藁の蛇を作って門に掲げる。昔、水不足の時、水神の龍を形どってお参りしたところから江戸期より始まったという。隣の集落、米沢には蛇屋敷の地名も残っている。
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