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【ろうどうコラム】「ハタラク」と「労働対価」

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年6月15日更新

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H27.10.9  「ハタラク」と「労働対価」

労働委員会 使用者委員 星 逸朗     
 

 最近、フォーク歌手で白鴎大学特任教授でもある山本コウタロー氏の文章を読む機会がありました。それが、日頃から私が考えていることと異なるところがありましたので、私見を述べてみたいと思います。

山本氏の文章は
「(前文略)もうずいぶんと前になるのだが、神戸で友人と話しているときに『働くって、ハタがラクになるからハタラク(傍楽)なんですよね』と聞いて、大いに腑に落ちた。そこで、色んなところで言いふらした。ふと気づいて、念のため『働く』の語源を調べたところ、実は全く違っていた。赤面の至りであるし、なんかガッカリもした。でも、俗説とされる傍楽(ハタラク)説が気に入ってしまって、注釈付きで、まだ吹聴している。 この働く→傍楽(ハタラク)が良いのは、労働の対価を前提としていないことだ。つまり、そもそも働くのは自分のため、そして周囲の人への一助として力を発揮することであって、その行為の報酬は保証されていない。ハタラクに何か御礼があるとすれば、まずは『ありがとう』『お陰様で』といった心のこもった言葉であろう。そして、誰かにそう言われると、私たちはなぜか嬉しくなるのですね。(以下略)」(公益財団法人 産業雇用安定センター「かけはし」2015・10月号 巻頭言 「ハタラク」と「ありがとう」 より引用)とあります。

言わんとしていることを理解はできますが、「傍楽(ハタラク)という行為の報酬は保証されていない。」という考え方は、なぜか私には違和感があります。そのため、山本氏は語源を調べたそうですが、私は国語辞典で調べてみました。

「働く」とは、(1)仕事をする。また、生計を立てるために一定の職に就く。労働する。(2)知的・精神的能力が発揮される。(3)機能が発揮される。また、効果・作用が現れる。とありました。

ということは、山本氏がいう「働く→傍楽(ハタラク)」は、国語辞典でいう(2)知的・精神的能力が発揮される。場合のことなのでしょう。こう考えれば、俗説とされる傍楽(ハタラク)説的な考え方も納得できます。例えば、ボランティア活動で働くことなどがそうかもしれません。報酬を求めてボランティアする人は稀でしょう。また、ボランティア次第では「ありがとう」や「ご苦労さま」と感謝もされるでしょう。

一方、「働く→(1)仕事をする。また、生計を立てるために一定の職に就く。労働する。」であれば、当然のこととして労働の対価として報酬を求めることになります。(1)でありながら、対価としての報酬を求めない労働なんて、「ハタがラクになるからハタラク(傍楽)」どころか「ハタに迷惑をかけるハタメイワク(傍迷惑)」になることでしょう。

実は、以前から私は部下や新社会人たちにこんな話をしていました。

「働くことで、辛いことや苦しいことがあるのは当然です。だって、お給料を貰うわけでしょう。時間を使って苦労するから報酬があるのです。仕事の苦労を減らすために工夫や努力をするのです。その工夫や努力の積み重ねをして結果を出せば、達成感を味わうことができます。達成感を味わうと、自分自身で嬉しくなるし、楽しくもなります。楽しい仕事というものは、こうして作るものだと思うのです。工夫も努力もしなくても楽しいのはゲームセンターです。だから、ゲームセンターで楽しむ時はお金を支払うでしょう。報酬を得るということは、そういうものだと思います。」と言っていました。

勿論、自分が好きで修得した特技を活かせる仕事についた人は、最初から仕事が楽しくてしょうがないかもしれません。しかし、その人は努力しないで仕事が楽しいのではなく、特技修得するために既に努力を重ねていて仕事が楽しいレベルに到達しているのです。

どうせ働くのなら、労働対価としての報酬を求めながらも、楽しい仕事をしませんか?

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