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【ろうどうコラム】A子の『女性の活躍平成30年史』

印刷用ページを表示する 掲載日:2019年4月25日更新

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H31.4.25 A子の『女性活躍平成30年史』

労働委員会 労働者委員 大越 香代子     

 今から30年前というと、男女雇用機会均等法が施行(1986年)されたことをきっかけに、女性の活躍が謳われた三十年でした。
 平成初期の入社組、まだ女性の幸せは、結婚と子育てだと信じている男性がおり、女性の意識もそう思う方が多かったと思います。私もそのことが女性差別などと思いもせず、社会人としての一歩を、女性寮生活からスタートさせました。門限は10時、一度閉じた門は、朝の6時まで閉ざされ。男性は、家族であっても入寮NG、宿泊は二日前までの申請方式の厳しいルール、千人まで収容可能で、女子刑務所とささやかれておりました。時折、寮の交流制度で男子寮を表敬訪問し交流を促進する活動が行われていました。その時さえ、女子寮に男性が訪問することはNG。それと比べ、男子寮は、何も制約もなく、自由な寮でした。男性にとっては、天国のような、平成ライフを送っていたようです。
 当時は、総合・一般職で採用されましたが、お茶当番、郵便当番、灰皿当番?・・・女性だけが沢山の当番を担っておりました。Aちゃんと呼ばれ、可愛がられていると勘違いしていたものです。長く務めると『お局様』に変わり、ある先輩は、三十歳の誕生日、女子寮を退室するシステムがあったため、気づけば、退寮されていました。差別とも取られるルールが当たり前でした。法整備は進んで来ていましたが、まだまだ人の意識は、昭和でした。

 平成中期に入っても、会議に女性は呼ばれず。研修も男性優先、女性は永遠の補欠。また、女性は、名刺は必要無いとされておりました。お客様の中には、女性との名刺交換は致しません!と言う硬派な男性がいらっしゃいました。そんな話をすると『女性だから当たり前だよ』『そういうものだよと』。これをアンコンシャスバイアスと知ったのは、労働組合の執行部になった中期も後半のことです。中期は、雇用機会均等法の入社組の三十代が増え、三十代・非婚・子なし『負け犬』が、流行語になり、キャリア継続するには、結婚をあきらめるか、スーパーウーマンで働き続けるしかなく、『どこまで頑張ればいいのですか?助けて』と言った相談が多く寄せられました。女性は、ビジネス・組織には見えないルールが有ることに気が付きはじめます。組織のピラミッドは、『命令の鎖』になっており、上にさからうことなどありえない世界なのだと分からず、がむしゃらに働いており、女性は、空気が読めないと呆れられたことも。この時、合計特殊出生率が過去最低の1.26%を記録していました。また、セクハラ・パワハラなどの禁止条項が増え女性の地位も向上してきた時代でもあり目まぐるしい時を過ごしてきました。

 平成が三十年たった今にあっても、男性は仕事、女性は家事・育児と言った本人の希望に関係なく、外から押し付けられるジェンダー規範は、社会習慣や人の思考に、深く影響しています。セクハラ問題は、女性問題としてクローズアップされますが、女性特有の生理・更年期症状と言った健康問題などは、逆に見えにくくなってきています。更年期症状が酷くキャリアを諦める人が多くおります。女性が働きやすい環境は、男性にとっても働きやすい環境だと思います。これからは、ヘルスリテラシーを向上させ、セルフケアーを行いながら人生100年時代を迎える時代になってきています。人々の価値観も多様化している今日、ジェンダーに関する理解を深め、適切な対応をすることが、社会・企業・人として発展することに繋がっていくのではないのでしょうか。
 個人としても、ステレオタイプにならず、明るく、自分らしく、生きていくために、尊厳あるコミュニケーションで 『令和』を迎えたいと思います。

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