私が小学校低学年くらいのころ、父は仕事が大変忙しく、土日もほとんど家にいなかった。東北各地に支店がある会社の本店営業部長として東北各地を飛び回っていたためだ。そのころ、父と遊んだ記憶はほとんどない。 そんな父が珍しく休みをとれた日の昼間、父と一緒に福島駅に立ち食いそばを食べに行ったことがあった。福島ルミネができる前だったと思う。福島駅からどこかに旅行に行くわけではなく、昼食として立ち食いそばを食べに行った。父は、「ここの立ち食いそばはおいしいんだ。」と言い、おいしそうにそばをすすっていた。私は山菜そばを食べたのだが、お世辞にもおいしいとは思えなかった。父に「どうだ。おいしいだろ?」と言われた私は、「そば屋のそばの方がおいしい。」と言った。父は「そうかなあ。おいしいんだけどなあ。」と言っていた。 そんな私も40歳になった。仕事で東京に行ったり、仙台に行ったり、郡山に行ったり、新幹線を使って出張することが増えてきた。昼時に新幹線を使って移動するとき、ちょっとした時間があれば駅で立ち食いそばを食べるようになった。福島駅でも、郡山駅でも、どの駅でも立ち食いそばを食べる。昼時に立ち食いそばを食べられそうなときは、少しウキウキする。「コロッケそばにしようかな。天玉そばにしようかな。わかめものせようかな。」などと考える。仕事が立て込んでいて立ち食いそばを食べる時間もないときは、コンビニで買ったおにぎりを新幹線で食べる。その時の敗北感は結構なものだ。 立ち食いそばは、どんぶりを左手で持って食べるのがポイントだ。姿勢よく立ち食いそばを食べることができる。この姿勢こそが立ち食いそば通だと思う。どんぶりをテーブルに置いて食べるのは認められない。食べていると、隣に同じように立ち食いそばをすすっているサラリーマンが目に映る。「おっ。忙しそうだね。」と勝手に親近感を持つ。そうこうするうちに、新幹線がやってくるというアナウンスがされる。「やばい。やばい。」と慌てて立ち食いそばをすする。「ふ~。うまかったな。」そうつぶやき駅のホームに向かう。そのとき、不思議と午後の仕事へのやる気に満ちている。 立ち食いそばとそば屋のそばを比べると、そば屋のそばの方がおいしいはずである。でも、立ち食いそばはおいしいのだ。自分には時間がない、時間がない中あわただしく昼ご飯を食べなくてはならない、周囲のサラリーマンも私と同じように慌ただしく立ち食いそばをすすっている、そんな状況が高揚感を与えてくれる。早さ、安さ、高揚感この3要素がそろった立ち食いそばはおいしい。 私の父は仕事を辞めて5年近くになる。この間はわざわざ入場券を購入して、立ち食いそばを食べてきたらしい。やはり立ち食いそばはおいしいのだそうだ。 |