コラムの執筆にあたり、「労働に関すること」という漠然としたテーマを頂いた。
識者や哲学者ではないので、切り口が見つらないまま時が流れ、やがて、梅、桜の開花のニュースが聞えてくる。各企業の春闘回答のニュースも提出期限が迫る。どこか、売れっ子作家の様な気分。でも苦しい。
搾取、児童労働、強制労働、過重労働、時間外、インターバル規制、有給休暇、休憩、賃金、契約、労災、サービス残業、ブラック企業、過労死、メンタル、パワハラ、セクハラ、マタハラ、派遣、非正規、定年延長等々。私としての労働を言葉にすると、以上の様な言葉が浮かんでくる。
男女賃金差別、賃金格差について昭和世代では当たり前で求人票に、男○○万円、女○○万円の表記があった。令和の現在でも、地域間格差、正社員、派遣社員、パート、アルバイトでの格差、年齢による格差が生じてきている。労働者派遣法が施行されてから、日本の賃金は上昇がみられない。派遣社員の方々の低賃金が要因と思われる。
年金の支給開始年齢は60歳から65歳に段階的に引き上げられており、同時に定年の延長、撤廃が議論されているが、賃金削減の企業が多いように感じる。生活維持費は変わらない、年金支給は5年後、退職金は65歳支給、魔の5年間の企業もあるように聞いている。
私が入社した1980年、昭和55年頃の労働は、上司、先輩は大変怖く、叱られるのは当たり前。当時はパワハラ等の言葉もない。横浜本社工場での研修中には、「福島に帰れ、お盆に帰ったら戻ってくるな」といった容赦ない鋭い、きつい言葉を浴びつつ、明日辞めよう、5月の連休で親に言おう、お盆まで我慢等、思い出せば色々あった。
私は不器用で、同期の中でも群を抜いて作業が遅く、職場に迷惑をかけていた。振り返れば、よく我慢して、使って頂いたと感謝したい気持ちである。当時の上司、先輩と一献酌み交わし叱られたい。昔話をしたい。あの頃は、どこか人間味がある、古き良き昭和だった。
平成、令和は、DX、GX、SDGs、カーボンニュートラル、シナジー効果、サステナブルBCP。認識する前に別の用語が出てきて、理解できない事もある。昭和生まれには、早すぎる。令和の作業、仕事を見ていると、デジタルの上で、デジタルに躍らせているような気がしてならない。設計は三次元CAD、加工は三次元マシニング、溶接はロボット、塗装もロボット、組立に来たら組立が出来ない、手が入らない、あそびがない、工具が入らない・・・
デジタル設備は最新鋭で素晴らしいが、社員同士が話をしない、現場に行かない。頭でっかちでは、現場は動かない。デジタル「作業」を行っている社員が目に付く。
現場を知って、アナログで作業をすること。上司、先輩、同僚と直接作業をして、叱られて(指導を受けて)、技能、人間的技量、度量を上げながら、デジタルの作業が出来れば、将来は明るい。80年代も令和も求められているのは、最上の品質、納期、価格である。
関係各所とメールでなく、直接話して、嫌いな上司、先輩とコミュニケーションが取れた上で会社、工場が動けば、やっと「仕事」で納期、品質、価格で世間から認知されて、製品完成、納期完納の達成感、職場の一体感、チームワークが得られるのではないだろうか。
人の感情には、デジタルは入り込めない。新入社員の時お世話になった、○○先輩にお願いされたら、○○先輩の為なら、スイッチ入れる、最優先で。「作業」ではない。
「結(ゆい)仕事(しごと)」が当たり前、当然と思って勤務してきたが、最近は、割り切れるデジタル化が進んだのか、どうも希薄に思える。
「結(ゆい)仕事(しごと)」が出来る職場を目指して、「デジタル」と「義理人情の人管理」が共存している動く会社工場を目指し、令和時代における「労働」と胸を張って会社、工場を紹介出来る様に、若干の時間が残されているので、消える前の蝋燭の如く、疲れない程度に、いぶし銀の様に燃えて、厳しい、頑なな昭和の職工に徹しますか?
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