昔、多くの患者は亡くなる病気にかかったものの、奇跡的な快復をとげ、復帰した弁護士がいた。その弁護士は快復した理由について、こう述べていた。「病床にありながら、どういう人が死んでいくのかを観察していた。すると、食事を摂れなくなった人から先に死んでいくことが分かった。だから、自分はとにかく食べるようにした。」私が所属する事務所の所長が、自身が聞いた先輩弁護士の話として、教えてくれた。
新型コロナが流行し始める前まで、私は、飲食店で飲食する機会に、比較的恵まれていたと思う。妻子から冷ややかな視線を浴びつつも、様々な機会をとらえて、より多くの人と飲食店で飲食をしていた。飲食をする相手は特に決まっておらず職種もバラバラ、年齢もバラバラであった。その中で感じていたことは、元気がある人、バリバリ働く人ほどよく食べる、そしてさほど太っていないということであった。年齢に関係なく、時間帯に関係なく、揚げ物だろうと、ご飯類だろうととにかく食べる、目の前にある物はすべて食べる。それを横目に見ながら、私は「もう注文しないでくれ。」と願い、「俺は少ない食事量でも最大限のパフォーマンスを発揮するのだ。」と考えていた。
そんな私も、新型コロナが流行しだしたころから、しっかりと食べるようになった。日々食事量が増えていく子供に負けるわけにはいかないという無意味な意地と、妻が作ってくれた料理はすべておいしく頂戴するという平和希求の心による。理由はともあれ、しっかり食べるようになり、体力がついてきた。以前なら、途中で思考力を失いかけていた長時間にわたる証人尋問であっても、連続した打ち合わせであっても、息切れしないで仕事ができるようになってきた。打ち合わせの時に世間話をする余裕もできてきたし、連続した打ち合わせの後に書面を作成できるようにもなってきた。
身柄拘束が続き、精神的に落ち込んでいる被告人と接見をした。一通り助言をした後、被告人から「先生、裁判に向けて最後に一言アドバイスをください。」と聞かれた。「とにかく出された食事はすべて食べなさい。食事をきちんと食べれば元気になるから。」と20年目の弁護士は助言した。被告人はポカンとしていた。
過去のあっせんにおいて、当初、使用者側が労働者の要求に応じることは困難との姿勢を示したが、あっせん委員による粘り強い説得や助言が功を奏し、使用者が態度を軟化させ、最終的に合意に至ったケースがあった。
赤の他人の助言を受け入れる-その背景には、あっせん員に対する信頼があるのはもちろんだが、あとから振り返れば、労使紛争が解決し、当事者の人生の転機となるような助言だったかもしれないのだ。
自分も新米会長ながら、そんな「重要な助言」ができればいいな、と思う。
|