只見町
長谷部家住宅
只見町叶津にある旧御番所の長谷部家の旧宅である。叶津は、新潟県側に通じる八十里越峠の麓の村で、江戸時代には長谷部家は肝煎を勤めていた家である。桁行13間という二階造りの大規模な厩中門造とよばれる曲り屋である。建立時代を示す記録類はないが、江戸時代後期と推測される。長谷部家文書には、会津と越後との交易を示す多くの近世文書類が保管されている。
山塩と塩竃神社
会津地方には、塩沢・大塩・熱塩など「塩」のつく地名が多くみられる。これらには、かつて「山塩」と呼ばれる製塩が関わる場合が多い。文化6年(1809)の『新編会津風土記』には、只見町塩沢と北塩原村大塩の製塩の記載があり、その様子の絵もある。両地区に、弘法大師(空海)により発見されたという伝説が記述されている。
塩沢では明治37年の塩の専売制が行われるまで製塩が村人によって行われており、その当時の製塩小屋の構造などを描いた絵が山塩記念館に保管されている。山塩の製造を記述した資料はほとんどなく、貴重な資料である。塩沢には塩竃神社がまつられており、社伝によると、文政年間で江戸後期の創建である。
窪田遺跡
窪田遺跡は、只見町大倉字窪田にあり、縄文時代後期から弥生時代に及び、只見川の支流の伊南川に住んでいた人々の生活を伝える。再葬墓と呼ばれる習俗の発掘により、当時の埋葬習俗がみられる。
また、弥生時代の農耕の遺物とされる河原石製の石包丁も出土しており、伊南川流域の農耕生活の一端もうかがわれる。石包丁と民俗事例としてのコウガイもあり、穂摘み具の変遷を考察するうえで注目すべき遺跡である。
成法寺観音堂
成法寺の創立や沿革は不明であるが、本尊には応長元年(1311)の銘があることから、寺の存在は鎌倉時代に遡る。観音堂の創建も本尊の建立時とみられる。現在の建物は、永正和年(1510年ごろ)に再建された。それは永正9年の迎礼納札の発見や、来迎壁背面に永正10年の銘が見られる。建物は方三間(各6.5m)、寄棟造、茅葺の禅宗様式の仏堂である。中世仏堂の建築形式の流れを知る上で貴重な建造物である。