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自殺で残された家族と友人のケアとサポートの手引き(10)

印刷用ページを表示する 掲載日:2013年12月1日更新
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悲嘆の問題

男性と女性の悲嘆には違いがありますか?

はい、違います。ちょうど、悲嘆を表現する仕方が、異なった文化の人で違ったり、あるいは異なった年齢、社会経済的背景、あるいは精神的・身体的健康が違う人で、違うのと同じです。内面的な悲嘆の気持ちはほとんど同じと思われますが、生物学的、社会的な環境によって、その気持ちの外への表現は人によって、家族によって、文化によって異なることがあります。

(男性の特徴)

一般的には(したがって必ず例外があります)、男性は女性よりも、悲嘆において怒りを表し易く、身体的には活動的になります;また問題を定義して解決しようとしがちです。また、他の人がどう対処しているかという本を読んだり、自分がどうすればいいかを教えてくれる人を探すことが役に立つと感じます。カウンセリングよりも情報を与えてくれるセミナーに興味を持つことが多いです。

なくなったのが子供の場合、男性は、妻がどうしているかとしばしば尋ねられますが、自分のことをたずねられるのは稀です。男性は、頼るつてが乏しいときに妻の面倒を見なければならないという社会的な圧力を感じ、その過程で、悲しみの気持ちを表現して他の人にケアしてもらう機会を奪われます。

離別を経験した男性は、女性よりも男性に気持ちを伝え易いと感じることがありますが、以前ならば、感情的なことは女性に対してのほうが話しやすかったという場合があって、意外に感じるかもしれません。おそらく、悲嘆に伴う気持ちが強いときには、社会的な条件付けを飛び越え、男性は、力強い父親としてのイメージを認めるのかもしれません;あるいは、妻を介護する役が身について、女性の友人や親戚やカウンセラーも同じ女性として、守ってあげなければならない対象であるように感じるのかもしれません。

悲嘆に暮れる男性にとって、週末にサポートグループに参加し、一緒になにかを「やって」、悲嘆のエネルギーを身体的な方法で表現するとよいかもしれません。こうした場面では、怒りの気持ちも誤解のおそれがなく、表現し易く感じるかもしれません。他の場面だと、「悲しむのはいいが怒りは手に余る」と言われて、怒りが悲嘆だということに気づいてもらえないかもしれません。

(女性の特徴)

やはり一般的に言ってですが、女性は男性よりも、より、ケアを引き出す振る舞いをします。女性が示す悲嘆は、特に最初の何日かあるいは何週かは、男性よりもより受身的で、傷つけられ易い様子が、よりはっきりと見えます。エネルギーがないようなときになにかを「したら」と、善意から促すことがあります。なにもしないでいるとうつになってしまうと考えてしまうのです。

生物学的・社会的な環境の両方から、女性は内向する傾向があり、心理的な痛みに際して、しばしば安心できるベッドルームにこもったりして殻に閉じこもり、男性の場合は身体的な活動によって外に向かうのとは異なります。 当初、「過度に」消極的、あるいはひきこもるように見える女性が多く、一方、男性は「過度に」落ち着かず活動的になりますが、適切なサポートによって、どちらもだんだんと適切なバランスが得られるようになっていきます。

もし、自分の振る舞いが異常かもしれない、あるいはそれが続いていることに不安を感じたら、そのことを誰かに話して専門家に相談するとよいでしょう。 男性と女性の悲嘆の違いをおおよそ理解することが役に立つとしても、先入観を持たないことは大切です。性別、年齢、人種、身体的環境がどうあれ、人はそれぞれ違うものであり、私たちは皆、自分の個別のニーズを、きちんと気遣ってくれる人に理解してもらいたいと思うものです。

性意識が悲嘆によって影響されるというのは本当ですか?

悲嘆によって、多くの人が性的な感覚や気持ちの変化を感じます。たとえば、しばらく性欲がなくなることもありますし、性欲が強くなる人もいます。

男性と女性では影響が異なることが多く、特に、亡くなったのが子供の場合はそうです。母親にとっては、性行為についてのなんでもが不快に感じ、痛みの元となることがあります。なんといっても、性行為がなければ、その自殺に悲嘆を感じている子供は授からなかったのです。それに対して、父親は配偶者との性的接触でなぐさめや安心を求めることがあり、拒絶されると再び見捨てられた感じを抱くかもしれません。どちら側の反応も正しく、また誤りであり、単に違いがあるということなのです。

夫婦の双方に心のこもったサポートがあれば、普通、二人の関係は間もなく「正常」に戻ります。そうならず、夫婦間に距離が生じたように感じてつらいときは、カウンセラーに話しましょう。

 性的な反応について、混乱し驚くことがあります。特にこれまでの自分らしくない行動を取るような場合はそうです。例えば、愛する人を亡くしたときに一度限りの性交渉を持ち、その後、罪責感が残ってしまうという人が多くいます。 性的接触を求める気持ちは、あなたの愛する人が亡くなっても、自分は生きているということを自分で確認したいという気持ちから起こるということがあります;あるいは抱かれて身体的な親密さを確認したいという気持ちによるものかもしれません。こうした経験をしたときは、自分を批判するのではなく、あなたに何が起こっているかを理解するようにしてください。あなたには、もう、問題に取り組む十分な「判断力」が備わっています。

アルコールや他の薬はどうですか?

悲嘆に暮れる人の多くがそうであるように、あなたも飲酒量が増えたり、あるいは今まで飲まなかったのに飲酒を始めたりすることがあります。タバコの本数が増えたり、痛み止めの薬が増えたり、家庭医に安定剤や睡眠剤をもらったりするかもしれません。本当は激しい悲しみを感じているだけなのに、うつ病との不適切な診断を受けて抗うつ薬を処方されることもあります。不眠のために不安や疲労が強い時は、数日、睡眠薬を使うとよいことがあります。

しかし、薬には副作用があり、治療するよりもかえって問題を増やしてしまうことがあるということをしっかり覚えておきましょう。 気分を変える薬に依存してしまうのに、時間はかかりません。悲嘆の苦しみを避けたり軽減しようとしていたのが、うつ病と身体的および精神的依存が重なって、より問題が複雑になってしまう可能性があります。悲嘆を先延ばしにすることはできるかもしれませんが、長期的には避けられません。

私たちの感じる能力を取り除きでもすれば別ですが、そうなれば私たちは生きているのではなく、単に存在しているだけになってしまいます。そうなったほうがいいように見えるときもあるかもしれませんが、最終的には、サポートを得ながら、悲嘆を経験した新しい自分として生きることができるようになります。

つらさや過敏さが強くなるときがありますか?

日没や日曜日、記念日、誕生日、祝日などの団らんの時間は、苦く甘い思い出を呼び起こし、孤独感や絶望感を際立たせて、つらく感じる人が多いでしょう。カップルや家族がいっしょにいるのを目にしたり、笑い声や音楽、昔を思い出させる食べ物のにおいなどによって、亡くなった人とはもう二度とこうした場面を共にできないという悲しみの気持ちに打ちひしがされるでしょう。こうしたイベントに至る数週間は最悪で、当日はどん底の気分ということもあります。

 あらかじめ準備しておくとよいでしょう。その日の行動について「あなたなりに」考えて、間際になって考えが変わるかもしれないと但し書きをつけておきます。一人になりたいと決めていたのに、急に一人でいることがつらくなってしまうかもしれません;あるいは一人でいるのはいやなので他の人と一緒にいようとしていたのに、間際になって人といっしょにはいれないと感じるかもしれません。「気持ちが変わってもあなたのせいではない」と友人に説明することが大切です。

祝日の習慣を変えて、なにか違ったことをするとよいかもしれません。新しい場所にしたり、儀式を変えたり、新しい人と交えたり、あるいは自分が安心できる人だけと一緒に過ごしたりといったことです。こうした場面でどんなふうに接してほしいか伝えておきましょう。易しく共感を持って接してほしいとか、感情的になりすぎないで場面をこなすことができるように、少し距離をもって、楽しくしてほしいなどです。故人についての話をして、いっしょに新しい思い出を作れるようにしてほしいとか、あるいは、特に最初の場合は、つらいのでその話題は避けてほしいという場合もあります。しかし、間際になって気持ちが変わることもあるということをはっきり言っておきます。

危機が過ぎてしまうと、自分を支援してくれた人を拒絶するようになることがあるというのは本当ですか?

どのような関係でも、近づいたり遠ざかったりというリズムがあるのが普通で、それが私たちに適しています。他人と一緒に過ごしたいというニーズと一人で過ごしたいというニーズは、生活の中の周りのいろいろな人々や出来事によって影響されます。

別離のような痛みや心の傷を伴うような出来事に際して、私たちは、身体的、感情的、知的、霊的、社会的に混乱させられます。私たちはとても傷つけられ易く、ニーズがとても大きいため、それを乗り越えるには、友人や家族や仲間と長期間、密接に、身近に接することよらざるを得ないかもしれません;私たちが普通、許容できる以上に密接に接することになります。あるいは、密接に接することで、以前には満たされないものだと否定していたニーズが呼び起こされてしまうのかもしれません。いずれの場合も、不安が生じます。 ケア、気づかい、サポートを受けることに感謝する一方、自分のふがいなさに当惑し、ふがいなさによって自立を損なわれることに憤りを感じます。答えることができるなど考えることもできないほど大きな感謝を負うことに圧倒されるでしょう;自分が「普通に」扱ってほしいと思っても、ずっと気を使い続ける友人にいらいらし、一方、実際にそうされると見捨てられたように感じて怒りを感じるのです。ときには、友人を見るだけで、痛みや無力感、依存心が呼び戻されます;あるいは、自分はもう以前のようには振舞うことができないのに、そうするように友人が無言の圧力をかけているように思うかもしれません。

私たちは、新しい「自分」を受け入れてくれる新しい友人に会いたいと願うでしょう。 この時期には、しばしば人間関係を結びなおすことが必要で、難しい時期です。なによりも、誠実さが必要です。誠実さ、助けを求める純粋な気持ち、それに理解が不十分で、以前の大切な関係がおぼつかなくなっているときは、結果について利害のない誰かに話してみるとよいでしょう。