二、県道赤留塔寺線沿線の魅力 5.佐賀瀬川付近の今昔
二、県道赤留塔寺線沿線の魅力5 佐賀瀬川付近の今昔果樹園より南を望む 佐賀瀬川を昔は逆瀬川と書いていた。この川は非常に荒れる川なのでつけられた。ここは会津美里町新鶴地区の扇状地の要となる所であり、銀山街道(柳津道)の分岐点であった。軽井沢に銀が出てからそれを運ぶために、若松から鶴沼川を渡り、下荒井から新屋敷を通って佐賀瀬川、さらに二岐を経て軽井沢銀山へとその往来は活気に満ちていた。その頃から宿場村として繁栄していた。赤留の方の道はこの道よりも時代が下がって用いられたのである。 銀山街道の宿場として栄える新鶴工業団地より 佐賀瀬川横穴古墳群 この銀山街道はさらに、軽井沢から大谷、間方(いずれも三島町)を経て、昭和村の野尻、只見町の布沢から小林に至る行程七〇キロの道で、若松城下から奥会津を結ぶ最短距離で江戸時代には人の往来が多かった。そして、ここは御巡見通行の道でもあったので、天明八年(一七八八)、古河古松軒が『東遊雑記』の中でこの道について書いている。 集落の北に九基の横穴古墳群がある。七世紀末の古墳時代から奈良朝にかけてのものである。また、権現堂遺跡は縄文末から弥生時代前期の土器群が発掘されている。
新鶴のスポーツセンター地区新鶴温泉健康センター 沼田バス停より 冬には白鳥が飛来する ふれあいの森公園佐賀瀬川の東は吹上公園と呼んでいるところで、今はこの地区のスポーツセンターの役目を果たしている。体育館を始め、陸上競技のトラックから野球場まで完備されている。さらにここには温泉が発掘されて、「ほっとぴあ新鶴」「新鶴温泉健康センター」が出来て、近郷近在から湯治に出かけてくる人が多い。地元特産品を利用した「薬用人参風呂」をはじめ、8種類のお風呂が楽しめる。 「吹上」とは、『地名苗字事典』には「風が吹き上がって砂塵などに苦しめられるところ。山麓・海浜・田畑いずれの地にも地名ある。」とある。たしかにここは小高い所で、冬には雪が舞い上がるのでこの地名が付けられたのだろう。 薬用人参から果樹園へ人参畑から米田方面を望む 人参畑佐賀瀬川、出戸田沢、根岸では薬用人参の栽培が行なわれていた。特に長尾原という開墾地では、開墾初期の栽培作物として、薬用人参を植えていた。しかし、薬用人参は戦後にこそ、高価なものとして持てはやされていたが、土づくりが難しく、時間も三,四年かかり、労力も大変なところから、採算が合わなくなり、今では、薬用人参畑に日覆いが被せてある風景をあまり見ることはなくなった。この吹上地区付近は、果樹園地帯に変わって県道の左右に葡萄、梨、リンゴの木が植えてある。ビニールハウスや棚などが至るところに見え、中には観光果樹園を開いている所もある。特にこの新鶴の葡萄は評判が高い。新鶴ワインを生産し毎年十月中旬にはワイン祭りが催され、収穫の秋を謳歌している。今や人参畑が果樹畑へと移り変わり、時代の流れが感じられる。 佐賀瀬川の北に小沢の集落がある。ここは逆瀬川の扇状地の氾濫した中央の扇面に当る所で、昔の川筋が今も低い田んぼになっている。この地域は畑作も盛んに行われ、昔から蕎麦、麻、煙草、大豆、大麦、小麦などを栽培し年貢の足しにしていた。近年は会津桐製品が盛んに作られ、道の両側に桐板の干してある風景が旅人を楽しませる。 ◆立行事稲荷神社の大スギ神社は建久年間(1190~98)に佐原義連が草創したと伝えられている。境内にある大スギは、樹高約37メートル、幹回り約4・9ある。室町時代(1532~1555)に洪水の被害から避けるため現在地に東方より移されたという。大スギもその頃に植えられたと伝えられている。推定樹齢は約450年。
◆沢田稲荷のケヤキ沢田集落の鎮守稲荷神社境内にある。推定樹齢400年以上のケヤキで、樹高約29メートル、幹回り約5メートルある。この神社の敷地は地頭の沢田兵庫光高の館跡である。稲荷神社を勧請したのが元亀元年(1570)で、葦名17代盛興の頃である。このケヤキもその頃に植えられたと思われる。
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