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近・現代

印刷用ページを表示する 掲載日:2013年12月1日更新

画像:明治時代の福島県庁舎

明治13年に完成した福島県庁舎

奥羽越列藩同盟のもと、本県域で戦いがくりひろげられましたが、白虎隊自刃の1ヵ月後、明治元年(1868)9月、会津藩主松平容保は若松城を明け渡し、県域の戊辰戦争は終わり、新しい時代が始まりました。明治9年(1876)8月21日に三県が合併され、福島県が成立しました(県民の日)。明治14年(1881)に福島自由党が結成されて本県の自由民権運動も盛り上がりましたが、翌15年の福島事件後一時衰退しました。

製糸業は、本県の中心産業として発達しました。また明治32年(1899)には沼上発電所から郡山までの長距離送電に成功するなど、電力供給県としての基礎が、この時期に固められました。

大正時代、普通選挙運動が活発となり、県内でも各地で演説会が開催されました。また、富山県で起こった米騒動は県内にもおよびました。大正から昭和初期にかけての文化の特色は、大衆文化の発展で、本県出身作家である宮本百合子や久米正雄もこの時期に活躍し始めました。

昭和2年(1927)に始まった金融恐慌により県内の多くの銀行が破綻しました。また、世界恐慌の影響で製糸業が大不振に陥りました。昭和9・10年の冷害で農村も大きな打撃を受けました。満州事変から昭和20年まで、約15年にわたる戦時下の生活が続き、昭和20年2月16日の原町空襲以来、県内各地でも空襲の被害を受けました。

画像:会津大学

最高のコンピュータ環境を提供している会津大学

昭和20年(1945)8月15日に太平洋戦争が終わり、平和で民主的な日本の建設が始まりました。昭和22年には、本県初の知事選挙が行われ、経済の復興も進み、昭和27年には、三県共催の第7回国民体育大会を開催しました。戦後の本県の開発は、只見川電源開発によってスタートし、産業基盤の整備が進められ、高度経済成長の道を歩みました。平成5年(1993)には県立会津大学の開学、福島空港の開港がありました。また、“うつくしま、ふくしま”県民運動のシンボル事業として、平成7年(1995)に「ふくしま国体」、平成13年(2001)に「うつくしま未来博」を開催しました。

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